October 15, 2011
written& photo  by 小倉 駿二朗

今回の散歩道は港町横浜の中区(山下町・みなとみらい等)を中心にご紹介したいと思います。
住みたい街としても大人気の横浜、そもそも横浜の由来ってどこから来てるのでしょう?
諸説ありますが調べてみると、昔は横に向かって長く伸びる浜があったそうで、地形が横浜の由来となったそうです。因みにその当時のは横浜村と呼ばれていました。

横浜村を一変させたのは、あのペリー提督率いる黒船艦隊、日本の玄関口の一つとなった横浜は様々な文化をいち早く取り入れる国際都市として発展し始めます。
横浜発祥の物ですとアイスクリーム・カクテル・写真・テニスコート・鉄道などが有名です。現在でも明治から昭和初期に建てられた建物が多く残り、明治から平成までの移り変わりを今でも楽しめる貴重な街です。

みなとみらい地区の夜景

ホテルニューグランド本館
山下公園通りをはさんで、山下公園の真向かいに昭和2年(1927年)に建てられた名高いクラシックホテルです。
関東大震災の際に多くのホテルが倒壊したのを受け、復興計画の一環として建設されました。

開業時からチャーリー・チャップリンなどのスター、皇室や英国王室といった賓客が多く訪れていました。また、1945年には来日直後のマッカーサーが滞在した事でも知られています。(wiki参照)

ホテル内に入ると創業当時の大階段や椅子など「クラッシックな雰囲気」などではない、本物と出会う事が出来ます。なんと言いますか、歴史に直接触れる事が出来る特別な場所です。

ホテルニューグランド

Bar・Cafe

桜木町から野毛、日本大通り、山下町と歩いてみると、一本通りを渡っただけで全く違う街になり、街の顔の移り変わりを感じるのも、このエリアの面白さ。
街の顔が変わると、そこにあるお店もまた変わって良いんですよね。散歩してると気になるお店が多すぎて、ついついハシゴしてしまいます。
昼は海外にあるようなオープンCafeで夜は老舗のBar、自分にあった横浜を楽しんでみて下さい。

Cafe

October 8, 2011
written& photo  by 小倉 駿二朗

浅草寺・雷門
浅草寺は東京都台東区浅草二丁目にある東京都最古の寺。「浅草寺縁起」などにみえる伝承によると、浅草寺の草創の由来は今の隅田川で漁をしていた兄弟の網にかかった仏像があり、この像を拝した兄弟の主人は出家し、自宅を寺に改めて供養したそうです。これが浅草寺の始まりだと言われています。観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像であると言われていますが、公開されることのない秘仏のため、その実体は不明です。
雷門
表参道入口の門。向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから正式には「風雷神門」と言いますが「雷門」の通称で通っています。慶応元年(1865年)に焼失後、長らく仮設の門が建てられていましたが昭和35年(1960年)、約1世紀ぶりに鉄筋コンクリート造で再建されました。実業家・松下幸之助が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進したもので、門内には松下電器産業(現パナソニック)寄贈の大提灯があり、三社祭の時と台風到来の時だけ提灯が畳まれます。(wiki抜粋)

雷門・提灯

神谷バー
東京の下町、浅草に今も残る日本で初めてのバーです。1880年に洋酒の一杯売りとして創業し、1912年に西洋風のバーに改造しのがその始まりです。バーというと、少し薄暗い店内のカウンターに座り、お酒を飲みながら友人やバーテンダーとの会話を楽しむ場所というイメージですが、当時のバーは現在のレストランのような店内で、浅草ロックで活動写真を見終えるとその興奮を胸に一杯、二杯と呑む。それが庶民にとっての最高の楽しみだったようです。 もちろん、今も神谷バーは下町の社交場として栄え、店内を見渡すと多くの年配の方達が、神谷バー発祥のカクテル「デンキブラン」を片手に今も昔も変わらず、一日の終わりを楽しんでいました。

神谷バー

下町・浅草

江戸時代以前から東京随一の繁華街として栄えた浅草。雷門・仲見世通り・浅草寺・浅草神社・伝法院・花やしき等々、観光名所を挙げていくときりがありません。
観光名所だけではなく周辺をくまなく歩いてみると、違った一面が見えてまた面白い。現在も江戸の下町情緒を感じさせてくれる場所が多く、おせんべいを焼いている所や運が良ければ店先でアンコウの吊るし切りを見る事も出来ちゃいます。

また、押上に建設中の東京スカイツリーが景観に彩りを加えた浅草。周辺をぶらぶら歩いてお昼にはお好み焼き、夜には神谷バーで一杯なんてどうでしょうか。
おせんべい屋

October 3, 2011
written& photo  by 福永 夕太

明治神宮
日本一の参拝数を集める、原宿駅の真裏にある神社。明治天皇が「うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ」と詠んだ代々木の南豊島世伝御料地を境内地として造営が行われた。1920年(大正9年)11月1日に鎮座祭が行われた。ちなみに、この御料地はかつて近江彦根藩井伊家の下屋敷のあった場所で、明治維新後に井伊家から政府に対して献上されたものです。面積約70万平方メートルの境内はそのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国よりの献木を青年団が植樹したものです。また、本殿を中心に厄除・七五三などを祈願を行う神楽殿、「明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する」宝物殿、「御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する」至誠館などがあります。(wiki抜粋)

明治神宮

表参道・神宮前

表参道は今でこそ、ファッションや文化の発信地として知られていますが、元々は明治神宮の「表の参道」なので表参道という駅になりました。副都心線に北参道駅もありますね。ちなみに住所で表参道はありません。また、神宮前はその名の通り「明治神宮の前」にあるからです。この街は、明治神宮がベースに地名が由来する事がほとんどなのです。

表参道・神宮前

代々木公園

代々木公園(約54ha)の所在地は、かつて「代々木の原」と呼ばれた大日本帝国陸軍の代々木練兵場でした。これが第二次世界大戦での日本の敗戦後には占領アメリカ軍施設・ワシントンハイツとなり、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで代々木選手村として使用された後に再整備され、1967年(昭和42年)に代々木公園として開園したものです。代々木公園は東京23区の中では4番目に広い公園です。ちなみに、1位は葛西臨海公園(約79ha)、2位は水元公園(約76ha)、3位は舎人公園(約71ha)。色々な目的の人がここにはいます。サイクリングやバードウォッチング、ウォーキング、写真、漫才の練習・・・。ゆっくりとした時間が流れます。

代々木公園