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渋谷区

July 15, 2010
written & photo  by 四方田 裕弘

広尾は、江戸時代には広尾之原とも呼ばれ、広重の浮世絵「広尾ふる川」を見ても、今では想像もつかない田園風景が広がっていたようです。
池波正太郎も鬼平犯科帳で天現寺を登場させますが、広重の浮世絵を思わせる描写をしています。

駅前の交差点から西麻布の辺りは、江戸時代は大名の下屋敷が置かれ、明治には御料地となり、有栖川公園や聖心女子大学、日赤医療センター敷地には、今でも当時の名残を感じさせる建物を見ることができます。


写真は羽澤ガーデンです。
明治の実業家中村是公の私邸として大正4年に建築された建物は、戦後『羽澤ガーデン』と名を変え、高級料亭、結婚式場として保存されてきました。
しかしながら2005年12月をもって営業が終了し、現在、マンションへの建替えが検討されています。 緑が生い茂り、外から覗くだけでも、歴史的価値や環境価値の高さが感じられます。
広尾や西麻布近辺にお越しの際は、是非訪ねてみてください。

羽澤ガーデン 羽澤ガーデン門

広尾には多くの思い出があります。
有栖川公園の蛍を見に行ったり、夏休みの自由研究で、大使館巡りをしたり、20歳の頃には駅前のパン屋や日赤通りのアイリッシュパブでアルバイトをしたり、大使館が点在するため、外国人が多く、ナショナルや明治屋等、外国の雰囲気を身近に感じられる貴重な地域でした。

ナショナル

有栖川宮記念公園

江戸時代、盛岡南部藩の下屋敷として使われていましたが、明治29年、有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王の栽仁(たねひと)王新邸造成の御用地となりました。大正2年、同宮家が絶え、大正天皇は第三皇子光宮宣仁(てるのみやのぶひと)親王に、有栖川宮の旧称高松宮の称号を賜り、その御祭祀をお継ぎになりました。その後、児童福祉を目的とする遊び場に深いご関心を寄せられていた高松宮殿下は、故有栖川宮威仁親王の20年のご命日にあたる昭和9年 1月15日にこの地を東京市に賜与されました。そして、東京市は同年11月に記念公園として開園しました。その後、北東部を編入し、昭和50年には港区に移管されて、多くの人に親しまれています。(『港区ポータルサイト』より抜粋)

有栖川公園

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