April 23, 2011
written& photo  by 小倉 駿二朗

東急東横線といえば、自由が丘や代官山が有名ですが、まだまだ面白い街はたくさんあります。そこで今回は東横線「日吉駅から武蔵小杉駅」までの散歩道です。

日吉は慶応義塾大学の日吉キャンパスが有名で、日吉キャンパスは旧帝国海軍の中枢が太平洋戦争の末期にその本拠地として使用されたそうです。 空襲を避けながら活動を続けるため、地下深くに地下壕が造られ今も日吉台地下壕として残っています。 先日の震災の影響で現在見学は出来ませんが、以前は月に1度定期見学会が行われていました。

日吉

写真は元住吉にあるブレーメン通りのブレーメン音楽隊です。 元住吉駅は急行がとまらないため、あまり降りた事がない方も居ると思いますが、 駅前のブレーメン通りは活気に溢れ、昭和のレトロな雰囲気を程良く残しています。 元々は元住吉商店街という名称でしたが、ドイツのブレーメン市にあるロイド・パサージュ商店街と友好提携を行いブレーメン通りと名称を変更したそうです。 因みに、写真のブレーメン音楽隊はブレーメン市の市庁舎にも同じもがあるそうですよ。

ブレーメン音楽隊

歴史の街「武蔵小杉」

交通アクセスの良さや、タワーマンション、等々力緑地などが有名な武蔵小杉ですが、実は歴史的に由緒ある街でもあります。 中原街道沿いに小杉御殿町という町名が残っているのですが、由来は徳川2代将軍秀忠の仮御殿(小杉御殿)がこの地にあった事から付いたそうです。 現在は跡地に碑が残っているだけですが、周辺には明治時代からの木造の建物を今も見る事が出来ます。 日吉・元住吉・武蔵小杉、それぞれ全く違った顔を持っています。あなたはどの街の顔が好きですか。

武蔵小杉

December 27, 2010
written& photo  by 福永 夕太

今回は、本郷三丁目がメインで湯島が少しって感じです。
本郷三丁目は、東京大学があり赤門は非常に有名です。近くには学問の神様がいるといわれている 湯島天神もあります。菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れます。 写真は東京大学付属図書館です。非常に素晴らしいたたずまいです。文学の街、本郷三丁目の特に菊坂周辺は 昔の文豪がたくさん住んでいてその名残がたくさん残っている。樋口一葉が住んでいたところなんかはその代表格です。

本郷

老舗と坂の町

この写真は、お煎餅屋さんです。老舗が非常に多く町の風情に調和しております。 それと非常に坂が多く、周辺の台地とを繋ぐ坂道が数多く延びています。鐙坂、炭団坂、梨の木坂、本妙寺坂、胸突坂など、様々な名の坂道があります。例えば鐙坂(あぶみ さか)は「鐙職人の子孫が住んでいた」とか「形が鐙に似ている」といったことからその名があるとのこと。炭団坂(たどんさか)はこれも「炭団職人が住んでいた」とか「 転ぶと炭団のように転がるほどの急坂」などといった理由からその名があるようです。炭団坂は、その上に坪内逍遥の旧居跡があることでも知られる。本郷台地ですからね。

せんべい

旧岩崎邸庭園

旧岩崎邸は1896年(明治29年)に三菱創設者・岩崎家本邸として建てられました。英国人ジョサイア・コンドルによって設計されたもので、現存するのは洋館・撞球室・和館 の3棟です。木造2階建・地下室付きの洋館は、本格的なヨーロッパ式邸宅で近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。館内の随所に見事なジャコビアン様式の装飾が施され ていて、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、往事のままの雰囲気を漂わせています。中に入るには料金がかかります。
旧岩崎邸庭園

December 25, 2010
written& photo  by 小倉 駿二朗

今回は神奈川県が誇る観光名所「鎌倉」です。
京都のような歴史漂う古都鎌倉は名所が多く、たくさんの観光客が訪れる国際観光都市です。高徳院の大仏や鶴岡八幡宮が有名でご存じの方も多いと思います。

鎌倉には車で名所を回るよりも、有名なアニメにも登場する江ノ電に乗って散策するのがおススメです。
歴史ある街って気の向くままに歩いていても、空気感だけで面白い。高層ビルやネオン街から一歩出て時間の流れを変えてみませんか?

鎌倉駅

鎌倉の歴史

まず頭に浮かんでくるのは源頼朝に始まる鎌倉幕府ですが、鶴岡八幡宮の境内からは弥生土器が発見されおり、海と山に囲まれた地形は古代から暮らしやすい場所だった事が伺えます。
周りを山に囲まれた鎌倉は地形そのものが天然の要塞の役割を果たし「武士による、武士のための政治」を行うための場所として選ばれました。
鎌倉幕府は約150年で滅び、その後を継いだ北条氏も室町幕府成立以降は衰退していきました。
因みに鎌倉が現在のような観光都市になったのは、水戸黄門の鎌倉日記(新編鎌倉志)がきっかけだとか。

写真は鎌倉駅近くのスターバックスなんです。 元々この場所は作家さんのアトリエだったとか。地元の人にも愛される憩いの場所です。

スターバックス

銭洗弁天

山の中の少し開けた場所にあり、昔は隠れ里と言われていたそうです。
源頼朝が巳の年、巳の月、巳の日の夜、「この地に湧き出す水で神仏を供養せよ、そうすれば天下泰平の世が訪れる」と夢でお告げを受け創建されたと伝えられています。
この話が発展して、いつのころからかこの霊水でお金を洗うとお金が増えるといわれるようになったとか。

銭洗い弁天

September 18, 2010
written& photo  by 福永 夕太

今回は、自由が丘・九品仏です。
自由が丘は、住みたい街ランキングで3位以内に必ず入る街なのでご存知の方も多いかと思います。 ファッションやカフェ、スイーツの街で住環境としてもとても素晴らしいエリアです。 そして、九品仏・・・「くしなぼとけ?」いえ、「くほんぶつ」です。大井町線で二子玉川側に自由が丘から一駅ですし、歩くことも可能です。この駅は意外と知らない方も多いかもしれません。今回はこの二つのスポットに焦点を当ててご紹介します。

自由が丘

九品仏浄真寺

九品仏の駅を降りると、すぐに参道が目につきます。そして参道を通ると浄真寺の門が現れます。 非常に情緒があり、都会の喧騒を忘れます。浄真寺は元来、世田谷吉良(きら)氏の奥沢城でした。1590年、小田原の役後、廃城となりましたが1675年に当地の名主、七左衛門が寺地として貰い受け1678年に浄真寺を開山しました。 九品仏の由来は浄真寺に3つの阿弥陀堂があり、それぞれに3体、合計9体の阿弥陀如来像が安置されています。この9体はそれぞれ、 上品上生(じょうぼんじょうしょう)、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生を表し、これをあわせて九品(あるいは九品往生)といいます。 この九品の仏から、浄真寺は通称「九品仏」と呼ばれています。

浄真寺

自由が丘の歴史(写真は昭和30年代の駅前ロータリー)

そもそも自由が丘駅は開業当初、「九品仏前駅」という名前でした。九品仏ありきだったんですね。 駅周辺は戦前に沼地を埋め立てて造成された土地であるために、丘と言う地名ながら周辺と比較して低地となっています。 昭和2年に東京横浜電鉄(東急電鉄)が開通し、同年に自由ヶ丘学園が開校する。九品仏前駅は、自由ヶ丘駅と改称しました。 自由ヶ丘→自由が丘・・どっちですか?現在は駅名も住所も「自由が丘」が正しいです。
歴史

September 14, 2010
written& photo  by 福永 夕太

今回は、横浜山手です。
山手の丘は、横浜開国と共に外国人と深くかかわりながら、その歴史を刻んできました。 横浜山手はみなとみらい線「元町中華街駅」、根岸線「石川町駅」から坂を登った所に位置します。 横浜港は1859年7月に正式開港し、山下町を中心とする山下居留地が4年で完成しました。その後、さらに外国人が増加し1867年、南側に山手居留地が増設されました。日本全国に6都市にある居留地のうちで横浜山手の居留地が日本最大です。感覚としては山手だけのイメージがありますが、実は山下(関内)が最初に定められた居留地でした。

chair

そもそも外国人居留地とは何か?

政府が外国人の居留および交易区域として特に定めた一定地域を言います。 1899年に条約改正により廃止されました。日本全国に6都市「築地(東京)、横浜、川口(大阪)、神戸、長崎、函館」に定められていました。居留地は文明開化の拠点でもありました。西洋風の街並み、ホテル、教会堂、洋館はハイカラな文化の象徴となります。テニス、ラケットボール、クリケット、野球、特に競馬観戦(西洋式)は居留地外国人の楽しみでもあり、現在の日本競馬のルーツにもなっております。 山手から東の方に行くと「根岸」があります。こちらには根岸競馬場がありました。同様に神戸居留地にも競馬場がありました。

洋館

日本初とブラフ

日本初の「テニスクラブ」、日本初の「洋式公園の山手公園」があります。そして、この地域では「ブラフ」という字を度々目にします。これは、元々軍隊陣地があるので「キャンプヒル」と呼ばれていた山手が、洋館がポツポツ建つようになると、港を見下ろす標高40メートルの緑の丘は切り立った崖に囲まれていて「ザ・ブラフ」と呼ばれるようになりました。「ブラフ」は直訳すると断崖絶壁という意味です。 その名残で今でも使われております。ちなみに最初の個人住宅は109番にあった、イギリス海軍大将のケッペル邸と言われています。
ブラフ
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